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2006年07月20日
◆滋賀県大津市坂本・日吉大社、勇壮な山王祭(二)

◆滋賀県大津市坂本・日吉大社、勇壮な山王祭(二)
◆◇◆日吉大社の山王祭、牛尾山山頂の磐座が原始の信仰の地
日吉大社の起源については、牛尾山山頂の磐座が原始の信仰の地(小比叡と呼ばれる牛尾山は神奈備山であり、この磐座は金大厳とも呼ばれ、日吉神・大山咋神の奥津域である。さらに山肌の岩石を組み合わせて日吉神と妃神の磐境が作られている)であったようで、この地の信仰の始まりである。
この磐座は琵琶湖を越えて太陽の昇る方向に向いており、古い日神信仰を感じさせる(ちなみに、琵琶湖を挟んだ対岸の三上山にも日神信仰を見ることができる。三上山山頂の天津磐座、御上神社の天之御影神、守山市の伊勢遺跡、近江王朝の謎多き始祖・日子坐王、渡来人の天之日矛=天日槍と息長氏、新羅神社・白鬚神社の信仰との関連など気になるところですが)。 この磐座を挟んで両神の荒魂を祀る奥宮2座が鎮座する(牛尾神社と三宮神社)。
東本宮(大山咋神)と樹下神社(鴨玉依姫命)は、それぞれの奥宮に対する里宮として麓に鎮座する(泉の湧き出る地の上に社殿が鎮座し、水神信仰を感じさせる。ここが里宮の創祀の地で、里宮創祀は崇神天皇7年と口伝されている)。
このように牛尾山山頂の奥宮の日神信仰と麓の里宮の水神信仰とが対応しており、古代坂本の地に住み着いた人々(古代出雲族がこの地に住み着いたともされる。比叡山を挟んだ京・八瀬の地にも同じような祭祀があった)の太陽と水への信仰(生きとし生けるものすべてへの恵みの神への信仰)を窺い知ることができるのだ。
比叡山の麓には、古くからこの地に土着する人々(山の民など)が住み着いていた。その人々は、比叡の山を山神(山王様、大山咋神、山末之大主神)として信仰する素朴な信仰を持つ人々であったと考えられる。
先住の人々は比叡山を跨いで東西の麓に住居を構え生活をしていた。それが、東坂本といわれた今の坂本と、西坂本といわれた今の京都の八瀬なのだ。 坂本と八瀬の地には、同じような祭祀があり(八瀬は山王信仰から天神信仰へと替わるが)、古くから同じ文化と信仰を持つ一族であったと考えられるのである。(※注1・2)
※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆
(※注1)『古事記』上巻、大国主命の国造りの段に、「大山咋神(おおやまくいのかみ)、またの名は山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)。この神は近淡海(ちかつおうみ)の日枝(ひえ)の山(比叡山)に坐し・・・」という記述がある。
この大山咋神の「大山」は比叡山のことで、「咋」は「主」を意味し、大山咋神は、「比叡山の主の神」を表す。 また、山末之大主神の「末」は元・本・基という意味があるところから、山末之大主神は「日枝山の根本神」と解釈もできる。
里から比叡山を仰ぎ見て、その最も近くにある秀麗な牛尾山(八王子山)に山の神の神霊(大山咋神・山末之大主神)が祀られたのであろう。
(※注2) 八王子山は標高381メートル、牛尾山ともいい、神が坐す山=神奈備山として気品ある山容を示す。 八王子山の山頂近くに屹立する巨石・金大厳(こがねのおおいわ)は、神の降り立つ磐座と考えられていた。
古くより「朝日に輝く金大厳」と呼ばれ、崇められてきた(金大厳は太陽光を正面から浴びて黄金色に輝く。そのため古代から太陽信仰の地であったようだ)。 この周りに大山咋神(牛尾神社、我が国最古の舞台つくり)と鴨玉依姫命(三宮神社)の神殿を造り、両神の荒魂(あらみたま)を祀っている。
この磐座・磐境が、最初の日吉大社の姿であり(神殿などが造られたのはずっと後世のことである)、後世の日吉信仰もここが源となるのだ。
スサノヲ(スサノオ)