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スサノヲ(スサノオ)
スサノヲ(スサノオ)
豊かな水をたたえる琵琶湖を持つ近江は、古くから多くの人や渡来人が行き来して住みついた、長い歴史と豊かな文化を作り出してきた場所です。 ただ、この近江(滋賀)に住んでいるのに、どれだけ近江について知っているでしょうか? 皆さんの地域をもっと理解するためにも、自分たちの地域の祭りや文化、歴史などについて語り、理解を深めましょう!


スサノヲ(スサノオ)
オーナーへメッセージ

2006年08月04日

◆湖国の名刹・三井寺の守護神・新羅明神と新羅善神堂

◆湖国の名刹・三井寺の守護神・新羅明神と新羅善神堂地図はこちら

◆湖国の名刹・三井寺の守護神・新羅明神と新羅善神堂

三井寺境内(大津市)から北に離れた北院の区域、ちょうど大津市役所の裏手、鬱蒼とした森林の中に新羅明神を祀る新羅善神堂がある。

多くの人が知らず、ほとんど訪れる人の無いお堂だ。

ただ、このお堂は凄い神を祀るお堂である事を知っているであろうか?

人知れず静かに佇むこのお堂を紹介しよう。

◆新羅善神堂

◆湖国の名刹・三井寺の守護神・新羅明神と新羅善神堂

大津市役所の裏から入る。

◆湖国の名刹・三井寺の守護神・新羅明神と新羅善神堂

弘文天皇陵の前を通る。

◆湖国の名刹・三井寺の守護神・新羅明神と新羅善神堂

突然、石の鳥居が現れる。

◆湖国の名刹・三井寺の守護神・新羅明神と新羅善神堂

木々が鬱蒼と茂り、薄暗くちょっと怖い感じがした。

◆湖国の名刹・三井寺の守護神・新羅明神と新羅善神堂

標識はあるが、訪れる人がどれだけ居るのだろう・・・

◆湖国の名刹・三井寺の守護神・新羅明神と新羅善神堂

掛け声が聞こえる、左側には滋賀県警察学校がある。

◆湖国の名刹・三井寺の守護神・新羅明神と新羅善神堂

右に折れると、古い石段が現れ、上の方に少しお堂が見れる。

◆湖国の名刹・三井寺の守護神・新羅明神と新羅善神堂

階段を上がると、急に明るい場所が現れ、古いが格式のあるお堂が現れた。
何か異空間にタイムスリップした気分になった。

◆湖国の名刹・三井寺の守護神・新羅明神と新羅善神堂

周りの木々はどれも長い歴史を感じる立派な木々である。

◆湖国の名刹・三井寺の守護神・新羅明神と新羅善神堂

唯一、新羅善神堂の説明の標識があった。

◆湖国の名刹・三井寺の守護神・新羅明神と新羅善神堂

お堂は門の格子から見るしかない。

◆湖国の名刹・三井寺の守護神・新羅明神と新羅善神堂

現存する三井寺の建物では最古だという。
国宝である。

◆湖国の名刹・三井寺の守護神・新羅明神と新羅善神堂

格子の隙間から見えるお堂だ。

◆湖国の名刹・三井寺の守護神・新羅明神と新羅善神堂

建物は石垣が積まれ、高い位置に立てられている。

◆湖国の名刹・三井寺の守護神・新羅明神と新羅善神堂

◆湖国の名刹・三井寺の守護神・新羅明神と新羅善神堂

◆湖国の名刹・三井寺の守護神・新羅明神と新羅善神堂


◆三井寺の守護神・新羅明神と新羅善神堂

三井寺は秘仏の寺といわれほど、滅多に拝観することのできない多くの秘宝伝えている。

この国宝・新羅善神堂に祀られているのが新羅明神坐像である。

約10年に一度公開されるだけである。

この神は、三井寺の基礎を築いた智証大師円珍が唐からの帰国の途次、船中に現れた老翁姿の神であり、円珍を園城寺(三井寺)の地へ導いた神でもある。

今まで多くの仏像や神像を見てきたが、この坐像の姿は特異である。
一度見ると、一生忘れる事のない異形・異相なのだ(夢に現れそうだ)。

智証大師円珍を導き、園城寺(三井寺)を再興させるパワーを与えた霊威の高い神でもある。

このお堂からは、時代がたった今でも、そうした霊威を感じるのは私だけであろうか・・・

◆湖国の名刹・三井寺の守護神・新羅明神と新羅善神堂

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Posted by スサノヲ(スサノオ) at 09:00 │Comments(3)近江の歴史
この記事へのコメント
はじめましてm(__)m
こういう荘厳な雰囲気はいいですね~
史跡巡りが好きなのですが、なかなか忙しくていけないので
こういう写真は凄くいやされます。
Posted byかた焼きそばat2006年08月04日 10:33
かた焼きそばさん、こんにちは!

>こういう荘厳な雰囲気はいいですね~

ほとんど訪れる人の居ないお堂ですが、
歴史的にも、格式でも凄い所です。

是非訪れてみてください。


スサノヲ(スサノオ)
Posted byスサノヲ(スサノオ)at2006年08月05日 09:35
島根県の安来は古事記では根之堅洲国というところでスサノオの活躍地ですね。正確には十神島根之堅洲国となりますが長いので古事記では省略されています。この省略された、十神島というのは出雲国風土記では砥神島という陸繋島であったであろう現在の安来市の十神山です。この島は安来市のシンボルと見いわれ、きれいな円錐形をした小山ですが、古代の人たちにの崇敬した島だったらしいです。この十神というのはイザナギ・イザナミ以前の神々を指し、両神を含めその後の神代の時代と分けて神世と表現されます。この神世七代の十柱の神々が宿る神聖な島だったのだと言われています。ここは、中海という湾岸にあり、例えば淡島と古事記に見える島と認識しうる粟島が対岸の鳥取県米子市にもあり、ここがオノゴロ(淤能碁呂)島と考えると、近くに国生みの神、イザナミの神陵地、比婆山もあることから合理的なのではと思われます。
Posted by原点の語部at2014年02月02日 21:39
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