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スサノヲ(スサノオ)
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豊かな水をたたえる琵琶湖を持つ近江は、古くから多くの人や渡来人が行き来して住みついた、長い歴史と豊かな文化を作り出してきた場所です。 ただ、この近江(滋賀)に住んでいるのに、どれだけ近江について知っているでしょうか? 皆さんの地域をもっと理解するためにも、自分たちの地域の祭りや文化、歴史などについて語り、理解を深めましょう!


スサノヲ(スサノオ)
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2007年01月02日

◆水尾神社 安曇川三尾山の麓に鎮座する三尾氏の氏神

◆水尾神社 安曇川三尾山の麓に鎮座する三尾氏の氏神


◆水尾神社 安曇川三尾山の麓に鎮座する三尾氏の氏神地図はこちら

水尾神社は延喜式に名神、大社に列する古社で、古代この地方に栄えた三尾氏一族の氏神である。

また水尾神社には継体天皇の母「振姫」が祀られている。

◆水尾神社 安曇川三尾山の麓に鎮座する三尾氏の氏神

日本書紀に拠れば、近江国高島郡三尾にて継体天皇は生まれたとしており、現在は田中神社にこの地の祖が祀られている。

また、神社の山上には継体天皇の父「彦主人王」の墓とされる古墳がある。

一説には継体天皇の父「彦主人王」は息長氏の出身とされている。

◆水尾神社 安曇川三尾山の麓に鎮座する三尾氏の氏神

『三尾大明神本土記』に「昔 猿田彦命はニニギノミコトが日本巡狩の際、比良山の地に鐙崎・吹御崎・鏡崎の三つの尾崎があり通行の妨げとなっていたので押し崩し その手柄により三尾大明神の名を賜った・・・その住む所を三尾郷と名づけた」とある。

この地、飛鳥時代以前の湖西地域は、和邇氏や大友氏といった豪族以前に新羅系渡来人などが日本海側の敦賀や小浜あたりから移住し、その先端文化の足跡が色濃く残されたようだ。




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Posted by スサノヲ(スサノオ) at 21:33 │Comments(0)近江の歴史
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