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スサノヲ(スサノオ)
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豊かな水をたたえる琵琶湖を持つ近江は、古くから多くの人や渡来人が行き来して住みついた、長い歴史と豊かな文化を作り出してきた場所です。 ただ、この近江(滋賀)に住んでいるのに、どれだけ近江について知っているでしょうか? 皆さんの地域をもっと理解するためにも、自分たちの地域の祭りや文化、歴史などについて語り、理解を深めましょう!


スサノヲ(スサノオ)
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2007年01月03日

◆三尾神社 うさぎが迎える長等山麓の古社

◆三尾神社 うさぎが迎える長等山麓の古社


◆三尾神社 うさぎが迎える長等山麓の古社地図はこちら

社伝によると、「三尾神社は太古伊弊諾尊がこの地に降臨され長等山の地主神として鎮座されたのを創始とする。 この神は常に赤・白・黒の三帯を着しその形が三つ尾をひくのに似ているところから三尾明神と申し上げる。 貞観元年(859)園城寺の開祖智証大師が琴緒谷に社殿を復興され爾来朝野の篤い崇敬を受ける。 應永年間足利将軍現存の本社を再興し、慶長年間豊臣秀吉も社殿を修理し社領を寄進する等広く世に崇敬されてきた。明治9年本社を琴緒谷(上の三尾)から現在地に遷し奉り今に至る。 」としている。

◆三尾神社 うさぎが迎える長等山麓の古社

社殿に関しては、貞観元年(859)、園城寺の開祖である智証大師円珍が琴緒谷に復興した後、室町時代、応永年間(1394~)に足利将軍が現存の本社を再興したものである。

慶長年間(1596~)には、太閤秀吉が社殿の修理を加え若干の朱印を下附せられた。

本社が現在地に移ったのは明治九年のことであり、明治十四年に郷社に加列され、明治二十二年には内務省古社保存資金下賜、明治四十三年に県社に昇格している。

◆三尾神社 うさぎが迎える長等山麓の古社

この三尾神社は、湖西の安曇川にもある。

水尾神社である。

字は違うが、安曇川の水尾神社は三尾氏の氏神である。

三井寺の守護神として水尾神社の三尾明神(新羅明神、白鬚明神、比良明神)が祀られたのであろう。




スサノヲ(スサノオ)

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Posted by スサノヲ(スサノオ) at 00:00 │Comments(2)近江の歴史
この記事へのコメント
おはようございます。

びわ湖はやはり「渡来人」の中でも、海運を得意とした「安曇一族」が活躍した足跡がいっばいありますね。
「三尾」の神の三神、水尾と言う地名、歴史は今に生きホントに面白いですね、
京都の(柚子で有名な)水尾も‥長野県安曇野・穂高神社に「お舟祭」は諏訪湖と関わり、尽きる事の無い歴史と民族そしていわゆる日本の文化の原点への旅‥正に浪漫が広がって行きますね‥また教えられました。
Posted by風at2007年01月03日 06:35
風さん、コメント有難うございます。

近江の湖西は、日本海から大和への大切なルートであったようです。

特に出雲、新羅から文化を携えた人々が往来しました。

古代、このルートには力を持つ豪族がいたのは、鴨稲荷山古墳の金冠装飾品の出土で明らかです。


スサノヲ(スサノオ)
Posted byスサノヲ(スサノオ)at2007年01月06日 01:36
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