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スサノヲ(スサノオ)
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豊かな水をたたえる琵琶湖を持つ近江は、古くから多くの人や渡来人が行き来して住みついた、長い歴史と豊かな文化を作り出してきた場所です。 ただ、この近江(滋賀)に住んでいるのに、どれだけ近江について知っているでしょうか? 皆さんの地域をもっと理解するためにも、自分たちの地域の祭りや文化、歴史などについて語り、理解を深めましょう!


スサノヲ(スサノオ)
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2006年10月07日

◆滋賀県大津の代表的な祭り「大津祭」(一)

◆滋賀県大津の代表的な祭り「大津祭」(一)

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◆滋賀県大津の代表的な祭り「大津祭」(一)

◆滋賀県大津の代表的な祭り「大津祭」(一)

◆滋賀県大津の代表的な祭り「大津祭」(一)




◆滋賀県大津の代表的な祭り「大津祭」(一)

◆◇◆滋賀県大津の代表的な祭り「大津祭」、大津町衆が支えた豪華で華麗な祭り

 金木犀の香りたつ頃、大津祭(滋賀県大津市の天孫神社の祭礼)の曳山のからくりの話を聞くと、秋が始まったなと感じる。今年は、宵宮が十月七日、本祭が十月八日だ。大津祭(旧四宮祭)は、祇園祭の山鉾巡行によく似た「曳山祭礼」が有名な祭りである。

 四百年近い歴史を持つ湖国三大祭りの一つで、東海道最大の宿場と港で栄えた旧大津の各町が、江戸初期から守ってきた天孫神社の伝統の祭礼だ。秋の湖国に、大津町衆の経済力と心意気を今に伝える秋の風物詩である。

 江戸時代初め(慶長年間・一五九六~一六一四年)に、鍛冶屋町の塩売治兵衛が狸の面を被って天孫神社(現在は大津市京町三丁目にあり、古くは「四宮神社」と呼ばれていた)で踊ったそうだ。神社の古木に住んでいた狸が死んでしまい、木を慰めるための踊りであったという。その踊りが好評で、毎年踊るようになったのが大津祭の起源とされている。

 その後、寛永十二年(一六三五年)からは屋台に地車をつけて曳山とし 子供達に引かせるようになり、寛永十五年(一六三八年)からは、祇園祭の曳山をまねて一回り小さい大きさの三輪の曳山を作り、やがてからくり人形が乗せられ、元禄・安永年間に現在の曳山が整えられた。

 町単位で十三基の曳山があり、当時の大津が東海道の宿場町として栄え、その大津の経済力をもとに町人文化が隆盛しました。大津祭は当時の町人の大きな財力を偲ばせる、豪華で華麗な祭りといえそうです。そうした祭りの面影を伝える、鍛冶屋町、丸屋町、湊町、猟師町、玉屋町などの町名が、地番整理などのため、公には消えてしまいました。大変に残念なことです。

 大津祭は様々な部分において祇園祭に酷似している。これはやはり、高山の高山祭などと同様、祇園祭の地方への伝播の影響と考えられる。祇園祭の曳山は四輪だが、大津祭は全ての曳山が三輪で作られている。町の大きさや、通りの広さなどの事情があるのだろうが、操作性をより高めた工夫は後世のものならばこそである。


スサノヲ(スサノオ)

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Posted by スサノヲ(スサノオ) at 00:00 │Comments(0)近江の民俗学
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