2006年10月02日
◆秋の風情、仲秋の名月、月見と十五夜(四)

◆秋の風情、仲秋の名月、月見と十五夜(四)
◆◇◆仲秋の名月(旧暦八月十五日)、月祭り(陰暦九月十三日)
陰暦九月十三日には宵から姿を現わす月のもと、秋の収穫を神々に感謝する月祭り(月を祀る神祭り)が行なわれ、酒を神と酌み交わして楽しむ風習が生まれた。中国では古来、陰暦八月十五日を「仲秋節」とし「観月の宴」を催していた。
これが奈良・平安期の日本に伝わり、宮廷では陰暦八月十五日の夜の「仲秋の名月」と、陰暦九月十三日の夜の「月祭り(月を祀る神祭り)」と、二つの月見が催されるようになった。
種々の供物を供えて名月を賞で、月見酒を酌みながら、詩歌管弦、舞楽、歌合せなどを行い、あるいは風流な前栽(せんざい=庭の植え込み)をつくり、広大な池泉に船を浮かべて月見をするなど、洗練された風雅な遊びと化していった。
鎌倉・室町時代になると武士が台頭し、庶民も次第に力をつけるようになって、月見の風習は武家や庶民へとひろがり、再び古代の農耕儀礼(※注1)と結びついた風習に返っていったようである。
たわわに稔った稲の初穂(これが後にススキに変わったといわれている)、里芋、枝豆、団子と共に、新米で醸した酒を供え、神々に豊作を感謝し、月見酒を神と酌み交わす行事が定着した。その後、月が出る前に空が明るくなる「月白(つきしろ)」は、仏達の御来迎だと考えられるようになった(※注2)。
また、いにしえの日本人の月に寄せる想いは熱く、たくさんの美しい言葉を生み出した。十五夜への期待がふくらむ前夜は「待宵(まつよい)」、月は「小望月(こもちづき)」、待ちに待った当夜、雨や雲で見えないことを「雨月(うげつ)」「無月(むげつ)」などと称し、日毎に表情を変える月の風情を愛でてきた。
こうした風情は、「月々に 月見る月は 多けれど 月見る月は この月の月」(中秋の名月がすばらしいのは、秋になると空気が乾燥し、月が鮮やかにみえるからだ)などといって月は古くから詩吟や俳諧の題材にもされてきた。
さらに、十五夜から日がたつにつれて少しずつ欠けてゆく月を神聖視し、次第に遅くなる月の出を、十五夜の次の月は「十六夜(いざよい)」、十七夜の月を「立待(たちまち)」、十八夜の月を「居待(いまち)」、そして十九夜の月は「寝待(ねまち)」または「臥待(ふしまち)」、二十夜の月は「更待(ふけまち)」・・・、また二十三夜の月「二十三夜待」と続く。
このように、ひたすら月を待つしきたりが生まれた。「十三夜」は、翌月の陰暦九月十三日の月をいい、枝豆や栗を供えてお月見する、最後の名月である。こうして日本人は自然と心を通わせ合い、宴(風雅な遊び)を楽しんできたのだ。
※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆
(※注1)暦のない昔は月の満ち欠けによっておおよその月日を知り農事を行なっていた。そこで、十五夜の満月の夜は祭儀の行なわれる大切な節目でもあった。地方によっては稲穂を供える「稲草祭」や新しく採れた芋を供える「芋名月」などの風習もあり、農民の間では農耕行事と結びついて収穫の感謝祭としての意味も持っていた。特に芋(里芋)を供える風習は、それが主食だった縄文時代にまで遡るといわれている。
(※注2)民俗学者の折口信夫は「お月見に信仰の意味合いがあるのは、月が出る間際の空のほのかな明るみ(「月白(つきしろ)」)に、左右に観音・勢至両菩薩を従えた阿弥陀如来の来迎を拝することができると信じたから」と考えていた。夜が更けて出る月を神聖視して、陰暦八月十五日の月「十五夜」を一番としたが、前夜、陰暦八月十四日の月を「待宵(まつよい)」、満月の翌日の月を「十六夜(いざよい)」などと称して信仰と観賞の対象とした。
スサノヲ(スサノオ)
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