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2006年07月19日
◆滋賀県大津市坂本・日吉大社、勇壮な山王祭(一)

◆滋賀県大津市坂本・日吉大社、勇壮な山王祭(一)
◆◇◆大津市坂本・日吉大社、約1300年の歴史を誇る勇壮で絢爛豪華な山王祭
湖国三大祭りの一つとして知られる大津市坂本5丁目、日吉大社の山王祭(さんのうさい)は、3月5日の神輿上げに始まり、4月中旬まで一カ月にわたって20余りの神事が繰り広げられる。
その中でも中心となるのは、4月12日~15日までの4日間の行事だ(東本宮系の神事が主体で、山宮から里宮への遷御・男女神の結婚出産の流れと、西本宮の神が鎮座した過程を古式に則って行われる)。
湖国に春を呼ぶ勇壮な神輿祭りで、約1300年の歴史がある。比叡山延暦寺の僧兵が朝廷に強訴する時に担ぎ出したのがこの神輿で、「北嶺(ほくれい)の神輿振り」(寛治八年)として歴史上にも有名だ。
4月の祭りは12日夜の午の神事(うまのしんじ)から行われる。八王子山(牛尾山)に夕闇が迫る頃、氏子の若者たちは赤々と輝く松明とともに急坂のぼる。
鈴振りを合図に、八王子山(牛尾山)の奥宮(山宮)2基の神輿(牛尾宮と三宮宮)が順に松明に導かれて闇の45度の急坂や急カーブを担ぎ下ろされて、東本宮に安置される(京都の葵祭と違い、危険で勇壮な御生神事だ)。
その後、神輿の後と後を繋ぐ「尻繋ぎ神事」と呼ばれる大山咋神とその妃の鴨玉依姫の結婚の儀式が行われる。
そして翌13日には東本宮(大山咋神)と樹下宮(鴨玉依姫)の神輿と前夜八王子山から渡御された両宮(牛尾宮=大山咋神荒魂、三宮宮=鴨玉依姫荒魂)の神輿と合わせた4基が宵宮場(大政所)に移され、これを「神輿入れ」という。
拝殿の正面には産屋神社といって大山咋神と鴨玉依姫(下賀茂神社の祭神)の御子神である別雷神(上賀茂神社の祭神)を祀った社がある。
献茶祭(日本最古の日吉茶園で摘まれた新茶を走井祓殿の山清水で点じて、4基の神輿に献じ神様の安産を願う)が終わったあと、かわいい稚児が花笠を奉納する花祭り(武者姿の稚児たちが造花で華々しく彩られた大指物を引いて参道を練り歩き若宮の出生を祝う儀式・花渡り式)があり、御子神の出産を祝い稚児が長い行列を作って参道を歩き、神輿に礼拝した後、西本宮に参拝する。
つぎに「未の御供(未の神事)」といって宵宮場の4基に生まれてくる御子神に奉る品々が献じられる。
その夜、夕闇迫る頃から勇壮な「宵宮落し神事」でクライマックスを迎えます。この宵宮の神輿落しは山王祭の圧巻で、3000人に余る参拝者・見学者で埋まり身動きできない状況を呈する。松明の火に照らされた神社前の産屋で、神輿を持ち上げて振り落とすが、この神輿4基は男神と女神に分かれ、その所作は若宮誕生の産みの苦しみを表現しているのだそうでだ。
次いで、振り落とされた4基の神輿を西本宮まで競って担ぎ上げ、当夜の行事を終える。
14日の申の神事(さるのしんじ)は7基の神輿が甲冑姿の武者を従えて山道を下り、下坂本の七本柳まで渡御。そこで神輿は船に乗せられて船渡御となり、唐崎沖まで渡り粟津の御供を奉納。このあと神輿船は比叡辻の若宮港に上陸し、日吉大社に帰って大祭を終える。比叡の山と琵琶湖を舞台に絵巻のような渡御が繰り広げられる。
そして、翌15日の酉の神事(とりのしんじ)には山王七社と摂社・末社への巡拝(祭りが終わったことを神に報告する酉の神事が営まれる)をもって、長い祭りはようやく幕を閉じる(山と湖を舞台に繰り広げられた華やかな山王祭の全日程の終幕となる)。
スサノヲ(スサノオ)