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2007年01月07日
◆滋賀県は当初2つに分かれていた、大津県と長浜県
◆滋賀県は当初2つに分かれていた、大津県と長浜県

◆なぜ滋賀県は「滋賀」というのか? 滋賀という地名2
これが廃藩置県(1871年・明治4年7月)による近江国から滋賀県へ変わる経緯である。
当初は全ての「藩」をそのまま「県」にしようとしたため、3府302県もあったそうだ。それを3府72県に整理された。
この整理・「第1次府県統合」で湖北7郡と湖南5郡の2県に統合される。
湖南の方は大津に県庁が置かれて「大津県」(1868年4月、旧幕府直轄地を管轄する県として設置)となる。
後、1872年1月1日(旧暦、明治5年)に郡名による「滋賀県」に改称された。
湖北の方はというと、最初は長浜に県庁を置く予定で「長浜県」とされたが,結局のところ県名はそのままで県庁は彦根に置かれた(県庁の取り合いがあったようだ)。
1872年2月(旧暦)に郡名による「犬上県」に改称された。
1872年9月(旧暦)には、その「犬上県」が廃止されて「滋賀県」に統合されることになる。
廃藩置県後の一時期、1876年8月21日には旧若狭国(嶺南)を編入されたことがある。
つまり日本海に面した若狭湾が滋賀県であった時期がある。
これも4年半後の1881年2月7日には、旧若狭国(嶺南)が滋賀県から分離されて嶺北と合併した事で福井県となり、滋賀県は内陸の県として現在に到るのである。
□1868
明治維新政府の成立。
五箇条の御誓文(ごかじょうのごせいもん)を発布。
大津県が置かれ、旧天領・旗本領などを管理する。
□1871
廃藩置県。近江国を分割、大津県と長浜県になる。
□1872
大津県を滋賀県に改称。長浜県を犬上県に改称。
犬上県を滋賀県に合併。
□1876
敦賀・大飯・遠敷・三方の四郡、滋賀県に編入。
□1879
最初の県議会。
□1880
逢坂山トンネル、はじめて日本人の手のみで完成。
京都-大津間に鉄道開通。
□1881
敦賀・大飯・遠敷・三方の四郡、福井県の管轄となる。
(現在の県域の確定)
□1889
大日本帝国憲法発布。市制・町村制を施行。
大津-長浜間に鉄道開通。これにより、県内の東海道線、全線開通
では滋賀県の「滋賀」にはどういう意味があるか考えてみたい。
スサノヲ(スサノオ)