2006年07月25日
◆近江神宮と天智天皇、競技かるた大会(五)

◆近江神宮と天智天皇、競技かるた大会(五)
◆◇◆近江神宮と天智天皇、天智天皇の近江朝廷での施策
第三十八代天智天皇を祀る近江神宮は近江京跡の北少し上がった所に鎮座する。一九四〇年(昭和十五年)に紀元二千六百年を記念して昭和天皇の勅許により創建された。
元官幣大社で建築の歴史は新しいが歴史背景は古く、飛鳥時代に遡る。 近江神宮の歴史背景には、大津京における天智天皇の目覚ましい事跡と天智帝崩御後の「壬申の乱」による悲しい結末を物語る。
境内は約六万坪、 鬱蒼とした森に囲まれ、社殿は近江造りまたは昭和造りと呼ばれる昭和建築の代表的なものである。回廊式で拝殿から祝詞殿、本殿まで棟つづきの神社建築だ。
水屋で手を清め、その横の広い石段を仰ぎ見ると緑の屋根が美しい楼門が聳える。 石段を登り 楼門をくぐり抜けると広い玉砂利の向こうに拝殿が姿を現す。拝殿に上がると正面奥に神殿が鎮座し、神殿を背に振り返ると琵琶湖が望める。
祭神・天智天皇は皇子の時代を中大兄皇子といい、藤原鎌足と共に大化改新を断行(六四五年)したとされ、「我国中興の祖」と称えられる(大化改新の存在については、諸説あり)。今から約千三百年余の昔(六六七年)、都を飛鳥から近江大津に遷都し大津京を開いた。
翌年(六六八年)一月、大津京で天智天皇が皇位を継承し、我が国憲法の源をなす「近江令」、我が国最初の戸籍「庚午年籍」を作り、農地改法「班田収授の法」を施行したとさる(こちらも、諸説あり)。 また都に大学、地方に国学を興して国民教育の道を開いたとされている。
更に漏刻(水時計)を造り、時計を定めたことから、近江神宮は「時の祖神」とされている。 境内には「時計歴史館」があり、水時計や日時計が後に業界から献納され設置されていた。六月十日の 「時の記念日」は、近江朝廷に漏刻が設置された日を記念して 大正九年に制定された。
◆◇◆天智天皇の近江朝廷での施策
・ 近江令(憲法の源)
・ 勧学院、国学(最初の公立大学)
・ 庚午年籍(最初の戸籍)
・ 班田収授法(最初の農地法)
・ 漏刻(水時計)
・ 水碓(みずうす)を使う金属精錬
・ 指南車(磁石)、水はかり(水準器)の使用
・ 燃ゆる水(石油)、燃ゆる土(石炭)の採掘
スサノヲ(スサノオ)
◆小舟入(こぶないり)の常夜灯 大津の旧船着場
◆膳所神社、大津宮遷都の際の御厨所
◆幻の近江高島虎斑石硯 、滋賀県伝統工芸品
◆芭蕉の草庵・幻住庵、大津市・国分山中腹に芭蕉の住処
◆近江神宮と天智天皇、競技かるた大会(十)
◆近江神宮と天智天皇、競技かるた大会(九)
◆膳所神社、大津宮遷都の際の御厨所
◆幻の近江高島虎斑石硯 、滋賀県伝統工芸品
◆芭蕉の草庵・幻住庵、大津市・国分山中腹に芭蕉の住処
◆近江神宮と天智天皇、競技かるた大会(十)
◆近江神宮と天智天皇、競技かるた大会(九)
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