2006年07月23日
◆近江神宮と天智天皇、競技かるた大会(三)

◆近江神宮と天智天皇、競技かるた大会(三)
◆◇◆百人一首とかるた遊び、その歴史
お正月の「かるた遊び」では、「百人一首」の和歌を二つに分けて、一方を読んでもう一方を探して取るという遊びをする。では、「百人一首」と「かるた遊び」はどのような歴史で今日の遊びになっていったのであろうか。
「百人一首」は百人の作者を選び、その人の和歌の作品の中から一首ずつ選んで集めたものである。六百年代から一二一六年まで、約六百年もの間につくられた和歌がほぼ年代順に書かれている。
選んだ和歌集でいうと『古今和歌集』から『続後撰集(しょくごせんしゅう)』までだ。鎌倉時代に藤原定家がこれを選んだという。京都にある小倉山の別荘の障子に張る紙に書いたことから「小倉山荘色紙和歌(おぐらさんそうしきしわか)」「小倉百人一首」とも呼ばれる。
一方、「かるた遊び」は平安時代の貴族の女性の間で行われていた「貝合(かいあわせ)」(※注1)がもとと言われている。貝がらに貝にちなんだ和歌を書いて、おたがいにどっちの和歌がすぐれているかを競う遊びだ。さらに、「貝合(かいあわせ)」が「貝覆(かいおおい)」に変わる。はまぐりの貝がらの二枚の内側に同じ絵をかいて一枚ずつに分け、一方の貝を持ち、もう片方をほかの貝と一緒に並べて分からなくし、同じ絵の貝を探して合わせる遊びである。
この「貝合(かいあわせ)」と「貝覆(かいおおい)」が一緒になって、江戸時代に「歌貝(うたがい)」(※注2)という遊びが生まれたとされている。「歌貝」では和歌を上の句(五・七・五・七・七の和歌のはじめの五・七・五の句)と下の句(残りの七・七の句)に分けて貝がらに書いた。この「歌貝(うたがい)」は江戸時代の女性の間に広まっていき、ポルトガルから伝わったカードの遊び(カルタ)をもとに、貝がらから厚紙の札に変わり「歌かるた」と呼ばれるようになったそうである。
「歌かるた」では和歌一首が書かれた読み札と下の句だけを書いた取り札があり、読み手が読み札を読んで、ほかの人たちがそれに合った取り札を取り、どれだけ多く取ったかで競う。そして一七〇〇年ごろにはこの「歌かるた」に書かれる歌に「百人一首」の歌(うた)が多く使われるようになり、今のような「百人一首かるた」の形になったと言われている。
※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆
(※注1) 『源氏物語』の中に「絵合(えあわせ)」という巻がある。このことからも、古来「絵合(えあわせ)」「鳥合(とりあわせ)」などの、何々合わせと呼ばれる物合遊びがあったた。その中でも最も広く行われていたのが「貝合(かいあわせ)」である。
この「貝合」とは、はまぐりの貝殻三百六十個を用いて、幾人かの人で分け合い、その貝殻を右貝(貝殻の片方)、左貝(もう一方の貝殻)とに分け、右貝を地貝、左貝を出貝と呼び、地貝の全部を場に並べ、各自手元の出貝を一個ずつ取り出して、出貝と地貝とを合わせて取り合う遊びのことで、「貝覆(かいおおい)」ともいわれていた。
この遊びは平安時代に貴族社会の子女の間で流行し、江戸時代まで伝承されたそうだ。この「貝合」の基本となる「合わせる」という遊び方は、現在の「かるた遊び」や花札にも受け継がれている。
(※注2) やがてこの「貝合(かいあわせ)」に用いるはまぐりの貝殻の内側に精功で美しい絵が描かれるようになり(「貝覆」)、さらに、いろいろな貝を持ち寄り、貝にちなんだ和歌を詠み、その優劣を競う遊びとが混ざって、「歌貝(うたがい)」という遊びに発展する。
この「歌貝」とは、はまぐりの貝殻の内側に和歌(『伊勢物語』『古今集』などの有名な詩句)の上の句(五・七・五・七・七の和歌のはじめの五・七・五の句)と下の句(残りの七・七の句)を書き分け、出貝(下の句が書かれている)を座の中央に並べ、手持ちの地貝(上の句が書かれている)と合わせ取り、その数の多少を競う遊びのことである。
この「歌貝」は江戸時代前期に盛んに行われ、広義にはこの遊戯のことも「貝合」と呼ぶ。後に、ポルトガルから伝わったカードの遊び(カルタ)が入ってくると、貝殻の代わりに紙札を用いて、それに和歌を書いた室内遊戯が「貝合」から創案された。これが「歌がるた」で、その中でも和歌集『小倉百人一首』を引用したものが江戸時代初期に始まる。
スサノヲ(スサノオ)
◆小舟入(こぶないり)の常夜灯 大津の旧船着場
◆膳所神社、大津宮遷都の際の御厨所
◆幻の近江高島虎斑石硯 、滋賀県伝統工芸品
◆芭蕉の草庵・幻住庵、大津市・国分山中腹に芭蕉の住処
◆近江神宮と天智天皇、競技かるた大会(十)
◆近江神宮と天智天皇、競技かるた大会(九)
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◆幻の近江高島虎斑石硯 、滋賀県伝統工芸品
◆芭蕉の草庵・幻住庵、大津市・国分山中腹に芭蕉の住処
◆近江神宮と天智天皇、競技かるた大会(十)
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