2007年02月04日
◆あなたは、「滋賀(シガ)」という文字は呼び名は好きですか?
◆あなたは、「滋賀(シガ)」という文字は呼び名は好きですか?
琵琶湖を中心に山に囲まれたこの地を「滋賀(シガ)」という。
*あなたは「滋賀」という県名は好きですか? 嫌いですか? 何も気にしたことはありませんか?
*あなたは「滋賀」に愛着はありますか? 「滋賀」の何処に誇りを持ちますか?
*あなたは、遠くに住んでいた時、遠くの人と出合った時、出身地を「滋賀」と言いますか? それとも曖昧に誤魔化しますか?(まさか京都の近くなんと言わないでしょうね!^_^;)
*あなたは、「滋賀」という県名がどうして付いたのか? また「滋賀」という名の由来をご存知ですか?
滋賀県の「滋賀」は、本来は「志賀」であったのでしょう!
いや、「シガ」という呼び名があり、後に漢字を当てたのでしょう!
・「シガ」を連想させる地名が多く存在する。
「滋賀郡」「志賀町」「滋賀里」「南志賀」「信楽」、「比良(ヒラ)」もそうなのかも知れない
・「シガ」を連想させる神社が多く存在する。
「白髯神社(シラヒゲジンジャ)」「新羅善神堂(シンラゼンジンドウ)」など
・「シガ」を連想させる人物が存在する。
「志賀漢人(しがのあやひと)」、「新羅三郎義光(シンラサブロウヨシミツ)」など
もうお分かりであろう! 「シガ」の意味を…
日本はいきなり日本になったのではない。多くの人々の交流と多くの文化の積み重ねと長い時間で、日本が形成されたのである。
滋賀(近江)も然りである。
古代、日本海が文化の表玄関であった。滋賀(近江)は、大和(奈良)への文化の流れの幹線であったのだ。
この地を多くの人々が行き来し、多くの人々が住み着き、多くの文化が伝わってきた。当然信仰も伝わってきたのである。
地名はそうした人々によって呼ばれた呼び名が今日まで生きてきたのであり、歴史の証人なのである。
しかし、地名辞典や公の機関では「滋賀県は、県庁所在地の郡名『滋賀郡』に由来し、古くは『志賀』と表記された例も見られる。『滋賀』の地名の由来には、『シカ(石処)』の意味で『石の多い所』をいったとする説と、『スカ(砂処・州処)』の転とする説がある。」としか説明しない。
どうして地名事典や公の機関ではこの歴史的事実を濁そうとするのか? 「志賀」をわざわざ「滋賀」にしたのも、何らかの意図を感じてしまうのだが…

スサノヲ(スサノオ)
2007年02月03日
◆田上山 近江のミステリーゾーン 隕石の山

◆田上山 近江のミステリーゾーン 隕石の山

・東京の国立科学博物館の入り口正面に何が置かれているがご存知であろうか?
・奈良の東大寺は何処の木材で作られているかご存知であろうか?
・藤原京・平安京は何処の木で作られたのかご存知であろうか?
・また平安京は誰が造営したのかご存知であろうか?
・「田上」は、どうよめばいいのか?、本来はどういう意味があったのか?
*先ず、東京の国立科学博物館の入り口正面に何が置かれているのは、日本でもっとも重い隕石である。それは田上山に落下した隕石である。
*東大寺、平城京、平安京の造営には、多くの木が滋賀県大津市・田上山の木が使われている。
*平安京は桓武天皇の指示により造営されたが、実際の造営は秦氏の財力と技術により造営されたという。
*「田上」は、「たなかみ」と読む。本来は「太神」であろう。多くの神が存在する、大きな影響を与える神がいる聖なる場所であったのであろう。
隕石、田上山、秦氏とは、何か関連があるのであろうか?
田上山とは不思議な山である。
しかも、田上山のある場所は多くの歴史的逸話が存在する。
田上山には多くのミステリーが伝えられている。
まず、田上山の隕石である。
日本列島に落下した隕石で発見された中で、もっとも重いモノが田上山の隕石である。
1885年に発見され、175kgの鉄隕石である。
過去、この地に隕石が落下したのであろう。
隕石、特に隕鉄が落下した所は、世界的にも聖域となっているところが多く、特殊なエネルギーが発生するという。人に精神に大きな影響を与える場所だとされている。
世界に目を広げてみても、隕石の落ちたところには、文明が発生しているところが多い。
という事は、隕石の落ちた田上山は、自然に人に大きな影響を与える場所であったのであろうか。
次回は、なぜ藤原京、東大寺、平安京の造営に、田上山の木が使われたのか考えてみたい。
スサノヲ(スサノオ)
2007年01月07日
◆滋賀県は当初2つに分かれていた、大津県と長浜県
◆滋賀県は当初2つに分かれていた、大津県と長浜県

◆なぜ滋賀県は「滋賀」というのか? 滋賀という地名2
これが廃藩置県(1871年・明治4年7月)による近江国から滋賀県へ変わる経緯である。
当初は全ての「藩」をそのまま「県」にしようとしたため、3府302県もあったそうだ。それを3府72県に整理された。
この整理・「第1次府県統合」で湖北7郡と湖南5郡の2県に統合される。
湖南の方は大津に県庁が置かれて「大津県」(1868年4月、旧幕府直轄地を管轄する県として設置)となる。
後、1872年1月1日(旧暦、明治5年)に郡名による「滋賀県」に改称された。
湖北の方はというと、最初は長浜に県庁を置く予定で「長浜県」とされたが,結局のところ県名はそのままで県庁は彦根に置かれた(県庁の取り合いがあったようだ)。
1872年2月(旧暦)に郡名による「犬上県」に改称された。
1872年9月(旧暦)には、その「犬上県」が廃止されて「滋賀県」に統合されることになる。
廃藩置県後の一時期、1876年8月21日には旧若狭国(嶺南)を編入されたことがある。
つまり日本海に面した若狭湾が滋賀県であった時期がある。
これも4年半後の1881年2月7日には、旧若狭国(嶺南)が滋賀県から分離されて嶺北と合併した事で福井県となり、滋賀県は内陸の県として現在に到るのである。
□1868
明治維新政府の成立。
五箇条の御誓文(ごかじょうのごせいもん)を発布。
大津県が置かれ、旧天領・旗本領などを管理する。
□1871
廃藩置県。近江国を分割、大津県と長浜県になる。
□1872
大津県を滋賀県に改称。長浜県を犬上県に改称。
犬上県を滋賀県に合併。
□1876
敦賀・大飯・遠敷・三方の四郡、滋賀県に編入。
□1879
最初の県議会。
□1880
逢坂山トンネル、はじめて日本人の手のみで完成。
京都-大津間に鉄道開通。
□1881
敦賀・大飯・遠敷・三方の四郡、福井県の管轄となる。
(現在の県域の確定)
□1889
大日本帝国憲法発布。市制・町村制を施行。
大津-長浜間に鉄道開通。これにより、県内の東海道線、全線開通
では滋賀県の「滋賀」にはどういう意味があるか考えてみたい。
スサノヲ(スサノオ)