2006年07月26日
◆大津市坂本・日吉大社、勇壮な山王祭(八)

◆大津市坂本・日吉大社、勇壮な山王祭(八)
◆◇◆日吉大社の山王祭、山王祭の源流3:天台宗の護法神・日吉山王、神仏習合と本地垂迹説
最澄・伝教大師(父・三津首百枝=漢人系渡来人と母・藤原富子=妙徳=藤原氏の間に、767年坂本で生まれる)が比叡山に天台宗の延暦寺を建立し開宗されると、中国の天台山国清寺の山王にならい日吉社の神を日吉山王と称し、天台宗の護法神、あるいは伽藍神として仏教とも深い関係を持つに至った(山王信仰)。
また天台教学には、北斗七星を祀る思想があって、東本宮を中心にした地主神の奥宮と里宮の四社のグループと、西本宮を中心に宇佐宮、白山社を含め勧請された三社を合わせて七社を、山王七社と称するようになる。
後に、その他の多くの神が祀られるようになり、山王七社を「上七社」とし、摂社・末社を加えた「中七社」「下七社」を構成し、併せて「山王二十一社」」として、天台宗の守護神として現代まで約1200年の歴史を経過してきたのである。
平安後期に入って、これらの神々にそれぞれの本地仏が配当され、仏教が主導権を持ち、天台神道として発展していきた。その後日吉神社の末社群も整理統合され、さらに二十一社に八十七社の末社群を加えて日吉社の「内百八社」と称し、それに日吉社の境社である比叡山上の寺院圏と、山麓の神社圏(氏神)を一体とする「外百八社」の、神仏習合の大規模な宗教形態が完成されていったのだ。
「山王曼荼羅」(奈良国立博物館蔵)には、八王子(牛尾)山を中心に山麓の山王二十一社や多くの摂社・末社、それらの付属建造物が極彩色で描かれている。当時、最澄の開宗による比叡山やその麓一体が、いかに広大で豪華な宗教圏であったかが想像出来る。
神仏習合(神と仏の融合化)が進むと、坂本の地主神を「日吉山王」「山王権現」と呼ぶようになり、権現とは「権(仮)に現われる」という意味で、神々の本体は仏陀や菩薩であり、世の中の人々を救うため仮に神の姿をして世に現われたとされた。この思想を本地垂迹説という。
このように、日本の宗教は神仏習合と本地垂迹説によって広まっていったのである。「山王礼拝講」では、大宮権現の神前で仏教の経典を講義、僧侶の間で質疑応答を行い、この法儀は明治の神仏分離令が施行されるまで続けられた。
比叡山一帯は、元亀二年(1517年)、織田信長によって焼き討ちされた。その後天正年間、豊臣秀吉(日吉丸は日吉神社による)らの援助で復興していく。神社側では祝部行丸、寺側では南光坊天海らが復興に努力した。
その復興の過程で、天台宗の教学・法儀に合わせて、僧侶たちが日吉社内百八社を巡拝する「山王秘密社参」という法儀が始まる。日吉社の古い絵図を見ると、日吉神宮寺には寺院建築物の金堂や七重の塔が、また山王七社には「彼岸所」(説教をする所)が見られる。また、西本宮には念仏堂や経蔵・根本多宝塔が付設されてた。
延暦寺の僧・天海は、「山王一実神道」を唱えた。これは日吉神社と延暦寺を結びつける教義で、山王の「山」の字は縦3本と横1本、「王」の字は横3本と縦1本で、一実(悟りに達するための唯一の道)であるというものだ。
元和二年(1616年)、徳川家康が死去した際、家康の神号や遷宮の儀について天海は崇伝と意見が対立したが、時の幕府の権力を背景にした天海の「山王一実神道」が通り、家康に「東照大権現」の神名が勅許された。天下に公認され勢いにのった山王一実神道は、「一切の諸神は山王の分身である」と説き「東照大権現縁起」へと発展する。これは本地垂迹説の流れを変えようとするものであった。
江戸後期になると、神国思想(本居宣長・平田篤胤や後期水戸学など)が復興してくる。この思想は幕藩体制を打倒し、明治新政府を設立する際の思想的バックボーンとなった。明治元年(1868年)の神仏判然令(神仏分離令)として神仏分離政策に多大な影響を与える結果となるのだ。
明治四年(1871年)、それまで比叡山延暦寺の勢力下にあった日吉神社(日吉大社)も、延暦寺の勢力下から独立して官幣大社となります。このとき日吉大社は自らの存在を明確化するため(神社としてのアイデンティティ)、神話や神統譜との影響を強め、祭神の変更や親子・兄弟神の関連付けが行われるのである(鴨玉依姫命や別雷神など)。
スサノヲ(スサノオ)
◆湖上の白髭神社の大鳥居に想いを馳せる
◆田上山と秦氏の関わり 田上山のミステリー
◆あなたは、「滋賀(シガ)」という文字は呼び名は好きですか?
◆田上山 近江のミステリーゾーン 隕石の山
◆初日の出 2007年元旦
◆初詣 近江神宮 2007年元旦
◆田上山と秦氏の関わり 田上山のミステリー
◆あなたは、「滋賀(シガ)」という文字は呼び名は好きですか?
◆田上山 近江のミステリーゾーン 隕石の山
◆初日の出 2007年元旦
◆初詣 近江神宮 2007年元旦
Posted by
スサノヲ(スサノオ)
at
12:00
│Comments(0)
│近江の民俗学