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スサノヲ(スサノオ)
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豊かな水をたたえる琵琶湖を持つ近江は、古くから多くの人や渡来人が行き来して住みついた、長い歴史と豊かな文化を作り出してきた場所です。 ただ、この近江(滋賀)に住んでいるのに、どれだけ近江について知っているでしょうか? 皆さんの地域をもっと理解するためにも、自分たちの地域の祭りや文化、歴史などについて語り、理解を深めましょう!


スサノヲ(スサノオ)
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2006年08月02日

◆幻想的な光の祭り、滋賀県・多賀大社万灯祭

地図はこちら◆幻想的な光の祭り、滋賀県・多賀大社万灯祭


◆幻想的な光の祭り、滋賀県・多賀大社万灯祭

◆◇◆多賀大社万灯祭、幻想的な光の祭り

 八月三日、滋賀県多賀町の多賀大社で、暗闇に一万個以上の提灯が浮かび上がる「万灯祭(萬燈祭)」(8月3日から5日まで)が始まる。毎年浴衣姿の参拝客ら約一万人が、幻想的な光の空間に酔いしれたそうだ。

 「万灯祭(萬燈祭)」は、多賀大社の祭神・伊邪那美大神=イザナミ命(伊耶那美命・伊弉冉尊)に「自分たちがいまあるのは先祖のおかげ」と、黄泉の国で人間の祖先の御霊(みたま)を守っているとされる伊邪那美大神(黄泉の国の大神となられた女神)に感謝の献灯を行う多賀大社の恒例行事である(約五十年前から続いている)。

 境内には高さ十メートルほどの柱約五十本を立て、柱の間に渡したロープに全長〇・五~一メートルの提灯約一万三千個が吊るされる。八月三日の初日には、伊邪那美大神が天降られたとされる杉坂山にて神職が御神火を起こし、元火が町内の氏子らのリレーにより多賀大社に運ばれ、午後七時ごろ、提灯に一斉に灯がともされ、真夏の夜空に神秘的なオレンジ色の光が浮かび上がる。

 その提灯のもと、多賀音頭、郷土芸能の「カンコ踊り」や太鼓や神楽(かぐら)、雅楽の演奏などが奉納される。五日まで毎日午後七時から同十時まで点灯される。

◆◇◆多賀大社、御祭神はイザナギ命とイザナミ命

 多賀大社は日本の祖神である伊邪那岐大神=イザナギ命(伊耶那岐命・伊弉諾尊)・伊邪那美大神=イザナミ命(伊耶那美命・伊弉冉尊)の二神を祀る神社であり、イザナギ命・イザナミ命信仰の中心地でもある。古くは「お伊勢参らば多賀にも参れ。お伊勢お多賀の子でござる」と歌われ、全国から大勢の参拝者を集めていた。

 『記・紀』神話では、天からイザナギ命・イザナミ命の二神が降臨して、日本列島と諸々の神々を生み出し、二人が最後に生んだ神が、・アマテラス(天照大御神、伊勢神宮の御祭神)、・スサノヲ命(須佐之男命・素盞嗚尊、氷川神社や八坂神社の御祭神)、そして月の神であるツクヨミ命(月読命・月読尊、月読神社の御祭神)の三神(三貴子)であった(『古事記』によれば、イザナギ命が禊ぎの最後に左目を洗った時にアマテラスが、右目を洗った時にツクヨミ命が、そして鼻を洗った時にスサノヲ命が生まれたとしている)。

 イザナギ命(伊耶那岐命・伊弉諾尊)は国生み・神生みをした後、この子供である三神(三貴子)に後事を託して引退したとされているが、その引退して籠もった場所がここ近江の多賀大社とされている(淡路という説も)。

 多賀大社の社伝ではイザナギ命・イザナミ命の両神は現在の社殿の東方四キロメートルのところにある杉坂山に降臨したといわれている。創建はあまりにも古く不明だ。古くから延命祈願に霊験あらたかであるとされてきた。


スサノヲ(スサノオ)

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Posted by スサノヲ(スサノオ) at 18:00 │Comments(2)近江の民俗学
この記事へのコメント
出雲が、神々の国と呼ばれる理由の一つに神無月があると思う。10月は日本全国神無月だが、出雲だけは神様が集まる神在月だ。神様は何のために集まるのか、なぜ集まる場所が出雲でなければならないか、思えば不思議なこと。巷間で言われる縁結びがその答えになるとはとても思えない。
 このことについて、インターネットホームページで「出雲文化について」という大作を発表しておられる伊藤寿氏は、出雲の青銅器文化との関連を説く。以下に、その要約をご紹介したい。(独断により、随所に加除を加えたことをお断りしておくが、詳細は下記によられたい。)

神在月信仰神在月まめ知識

 出雲の航海・造船技術はどうやら他の地域と比べてもかなり優れていた。豊富な資源とその精錬技術は、地上の交通は獣道ばかりという当時の交通事情から考えれば、航海・造船技術の基盤の上に立ってこそ出雲王国は成立する。

 出雲がその航海技術を祭にまで引き上げ、年に一回ちょうど冬支度に入り長距離航海が出来なくなる10月あたりに全国の航海人たちを集めて航海・造船技術の伝達はもちろん、物産の交換・各地の情報交換を行ったのではないだろうか。その時のならわしが、今日まで残り、神在月伝承として広まったと考える。

 このことは出雲が大和から“黄泉の国”と呼ばれていたこととも関連する。青銅器の祭を現在の宍道湖近辺で行う時、太陽の光を浴びて多数の青銅器がきらめく姿が海面に映え、黄金色の泉に見えたことであろう。そして、出雲の死に対する考え方、死んでも出雲の大地にとどまるという思想が、死の国イメージを与えたのであろう。

 出雲では、神在月の頃に稲佐の浜にあがってくる海蛇を神の使いとして信仰する竜神信仰がある。この海蛇は、セグロウミヘビといい、背が黒色をしている。注目したいのは、脇腹の色で、金色をしている。これが青銅器のイメージにあわせてこの海蛇が選ばれた理由と考えられる。

 御諸山の神は蛇の化身であったといわれている。この神は青銅器の航海技術を伝えた人物と解釈することもでき、セグロウミヘビを祭る竜神信仰、そして青銅器祭祀を暗示しているような気がするのである。


 この説を読んで、10月を日本海の荒波の打ち寄せる前と考えたこと、および船に着目したことについて伊藤氏の慧眼に敬意を表したい。ただ、航海・造船技術の修練としたことをもう少し発展させて考えてみたいと思う。

 私の考えはこうだ。
 10月が日本海の荒波の押し寄せる直前の季節ということで時期を意味付けたことを発展させると、船に関係する。この船だが、通商と広く考えるより、出雲からなくてはならない大切なものを全国に出荷していたのが、冬は出荷できなくなると考えたらどうだろうと思った。そう、鉄である。大変重く、精錬後の鋼塊も山から川舟を使って斐伊川を下ったようだ。
 
 古代における鉄の重要性は大変なもので、農耕具として、武器としてその価値を認められ飛躍的にその需要は増し、その生産技術は向上し、広まっていった。この製鉄法は、朝鮮半島から伝わってきた。伽耶諸国の中に鉄を産する地域があり、倭国を含め近隣諸国がこぞってこれを買い求めたことが記録にある。鉄片は鉄ていと呼ばれ、鉄製品の原料として利用されるにとどまらず、その価値の大きさから貨幣としても利用されたようである。伽耶諸国が小国にもかかわらず強力であったのは、通商国家としての富の蓄積のほか鉄の生産に優れていたのではないかと考えられる。
 ところが朝鮮半島では鉄の生産が難しくなってしまった。それは燃料としての森林伐採が大規模に進んだ結果、山が丸裸となり燃料資源の枯渇が進んだためであった。朝鮮半島は列島に比べ、年間平均気温も低く、年間降雨量も少ない。緑の復元には多くの時間を必要としたのである。このことから、鉄精錬技術者が半島から列島へ、とりわけ出雲を中心とする山陰地方へ集団移住することとなった。

 スサノオもアメノヒボコもともに金属精錬と関わり、ヤマタノオロチ伝説はまさに斐伊川上流で行なわれた製鉄が下流に大量の土砂を押し流し、あるいは鉱滓が鉱毒となり農耕民を苦しめたことの反映ではなかったかと思う。

 安来がタタラ製鉄で名高く、全国への積出港としてながくその歴史を保ち、今なお世界中のカミソリの刃の原料の6割は当地で生産されると聞き、あらためて歴史の重みを覚えたものである。

 秋口10月は、日本海の荒れる冬の直前で、船の往来が困難となる前に多くの船が鉄を買い取りに出雲に集まってきたのではないかと考えたがいかがであろう。

 それと、これまでの話は現実の世界の話だが、神様が集まるということの中には、やはり精神世界の意味についても考えるべきと思う。その意味でも、青銅器の祭と竜神信仰を着想された伊藤氏には敬意を表したい。

 私の考えはこれに加えて、より直截にイザナミの死を考えたいと思う。イザナミはオノコロ島をはじめとする大八洲を生み山川草木を生み、また山の神、大山津見や穀物の神オオゲツ姫など多くの神々の母でもあった。その母が亡くなったら、子である神々が集まり嘆き悲しむのは自然である。イザナミ終焉の地は、日本書紀では熊野の有馬村だが、古事記では出雲と伯耆の境の比婆山となっている。

 佐太神社では、11月20日から25日(旧暦を陽暦に改めたもの)までを神在祭とする。社伝によれば、イザナミ神の去った旧暦10月に八百万の神々が当社に参集されるので、厳粛な物忌みがなされるところから、神在祭は“お忌み祭”(お忌みさん)ともいう。この祭には必ず龍蛇が現れるというから、先ほどのセグロウミヘビとは直接につながっていそうである。

 イザナミ神との関連をより明確にする神社は、神魂(かもす)神社である。当社は、祭神としてイザナミ神を祀り、10月11日に全国の神々が集まり18日まで滞在されるため、亀甲の中に[有]を書いて神紋としている。 

 神様の出発地として名高い万九千(まんくせん)神社では、17日から26日までを神在といい、神様方は最後に当社に集まり幽議の後、26日に諸国の神社へ帰国する。この日をカラサデ(神等去出)といい、鎮座地は神立(かんだち)の地名となっている。

 以上のとおり、出雲の神在祭とはイザナミ神の葬儀であり、全国の神々が出雲に集まったから出雲は神在月となり、他の諸国は神無月となったのであろうと考える。
Posted by尼子宇治at2006年12月31日 19:21
 なにやら伊邪那美の象徴する「美」と
刃物を司る機能である「切る」と黄泉
話は2つの象徴を含んでいるようにも
見えます。
 美しく切れるとは切れ味のことで、
本当は、「かぐや姫」の話のようだった
のではと古代人に成り代わった気持ちで
古事記を読んでいます。
Posted by古事記中毒at2007年07月17日 00:07
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