2007年01月05日
◆へその石 ほらの前の礎石 大津市国分2丁目
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この石は、その大きさから塔の心柱を支える礎石ではないかと言われています。
奈良時代、この地周辺は、国昌寺(こくしょうじ)や国分寺また、淳仁(じゅんにん)天皇の保良宮()ほらのみや)等があった場所でもあり。そのどれにあたるかはよく分かっていない。
ただ、この石はこの地の歴史を語る重要なモノである事には違いない。
スサノヲ(スサノオ)
◆滋賀県は当初2つに分かれていた、大津県と長浜県
◆なぜ滋賀県は「滋賀」というのか? 滋賀という地名1
◆三尾神社 うさぎが迎える長等山麓の古社
◆水尾神社 安曇川三尾山の麓に鎮座する三尾氏の氏神
◆木曽義仲と芭蕉の墓所、街の中にひっそりと佇む義仲寺
◆安曇川に金銅冠の副葬品と共に眠る王、鴨稲荷山古墳
◆なぜ滋賀県は「滋賀」というのか? 滋賀という地名1
◆三尾神社 うさぎが迎える長等山麓の古社
◆水尾神社 安曇川三尾山の麓に鎮座する三尾氏の氏神
◆木曽義仲と芭蕉の墓所、街の中にひっそりと佇む義仲寺
◆安曇川に金銅冠の副葬品と共に眠る王、鴨稲荷山古墳
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スサノヲ(スサノオ)
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