2006年10月08日

◆滋賀県大津の代表的な祭り「大津祭」(三)

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◆滋賀県大津の代表的な祭り「大津祭」(三)

◆◇◆滋賀県大津の代表的な祭り「大津祭」、大津町衆の経済力と心意気

 大津祭の豪華さと華麗さは、近世に琵琶湖水運の要となる港町、そして東海道の宿場町として栄えた大津の経済力を象徴し、またこの祭りを支えてきた大津町衆の心意気を示す。この大津祭の特色として、それぞれの曳山に中国の故事や能・狂言を題材とした「からくり(絡繰り)」が取り入られていることだ。

 「からくり」は、一流の細工師によって生み出され、巡行中「所望(しょうもん)」の場所で行われる。この「からくり人形」は飛騨高山などのようにたくさんの糸を使って操るのではなく、少ない糸で複雑な動きをするように仕掛けが施され、市内の各所で囃子に合わせて絡繰りが演じられる。昔は見物の人々から「所望」と声が掛かると絡繰りが行われたところから、これ所望(しょうもん)」と呼んでいる。

 大津祭の見どころはこの「からくり」と、本家の京都では見られなくなった厄除けの粽(ちまき)を見物人の求めに応じて曳山の上から投げるところだ。祭り見物の人々で埋め尽くされた辻々ではたくさんの粽が投げられ、それを奪い合う人々の歓声とともに大きな人波のうねりで祭りはまさに最高潮となりる。この粽は食用ではなく翌年の祭まで家々の玄関の軒先に厄除けとして飾られることになる。

◆◇◆滋賀県大津の代表的な祭り「大津祭」、「天孫神社」の秋の例祭

 大津祭は「天孫神社」の秋の例祭として行われる神事だが、その中心は疫病退散祈願である。これもやはり、祇園祭同様の都市に住む町人文化による都市型の祭りの形だ。日本人は基本的には農耕民族であり、祭りの多くは五穀豊穣などを祈るものだったが、このような都市型の伝統的な祭りが中世以降増えていく。祇園祭も疫病退散を願う祭りであるように、消費都市に住む町人にとって最も悩ましいのは疫病であったと考えられる。

 また、大津祭の天孫神社は、かつて四宮神社と呼ばれていたそうだ。これは天孫神社の祭神がヒコホホデミ命(彦火々出見尊)・クニトコタチ命(国常立尊)・オホナムヂ命(大己貴尊)・タラシナカツヒコ命(帯中津日子尊)の四つ柱に由来するところからだそうである。明治の代になって天孫神社と改められたそうだ。


スサノヲ(スサノオ)

◆大津祭



























































  

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2006年10月07日

◆滋賀県大津の代表的な祭り「大津祭」(二)

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◆滋賀県大津の代表的な祭り「大津祭」(二)

◆◇◆滋賀県大津の代表的な祭り「大津祭」、ゴブラン織の見送り幕とからくり(絡繰り)

 九月中旬に曳山の巡行の順番を決めるくじ取り式が行われた。大津祭(※注1)は、もとは十月十日に行われていた。しかし、ハッピーマンデー実施により体育の日の前日の日曜日に本祭が、その前日に宵宮が行われるようになるた。宵宮(本祭の前夜)では曳山から「コンコンチキチン」の祭りばやしが夜空に響き、無数の提灯に浮かび上がった曳山は優雅で美しい風情を表す。

 宵宮を経て、本祭の午前九時には、神社前に曳き山十三基が勢揃いする。毎年くじ取らずで先頭で巡行する西行桜狸山をはじめとする源氏山・郭巨山・西宮蛭子山・孔明祈水山・西王母山・猩々山・湯立山・月宮殿山・殺生石山・神功皇后山・石橋山・龍門滝山といったゴブラン織の見送り幕(曳山の後ろ部分の幕)や豪華な装飾金具に飾られた十三基の三輪の曳山が天孫神社から大津市内を巡行する。順次市内の通りに繰り出した曳き山は、鉦、太鼓、笛の賑やかな囃子に乗って町中を煌びやかに巡行して行く。

 町内の通りや町屋の造りまでが、曳き山に合わせて作られており、通りの町屋の二階は通りに対して開け放たれ、そこに緋の毛氈を敷き親類縁者が集まって曳き山の通過を見物する。曳き山からは厄除けのチマキなどを座敷の中や、通りの見物人の中に投げ込んだりして進んで行く。

 また数カ所の辻では曳き山を止めてカラクリ人形の演技「所望」が行われる。これらは嘗ての宿場と港で繁栄した大津の経済力を示すものだ。いまでは各町で維持されつつも、大津市と観光協会がその維持に努めている。これからも、歴史と伝統の継承を続けてもらいたいものだ。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)大津祭は天孫神社の例祭である。延暦年間(七八二~八〇六年)の創建といわれ、彦火火出見尊、国常立尊、帯中津日子尊、大己貴尊の四座を祭神とすることから、古くは「四宮神社」と呼ばれていた。祭神の一柱である彦火火出見尊が天照大神の孫に当たるところから明治初年に「天孫神社」と改称された。 大津の守護神として崇敬されている。


スサノヲ(スサノオ)  

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2006年10月07日

◆滋賀県大津の代表的な祭り「大津祭」(一)



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◆滋賀県大津の代表的な祭り「大津祭」(一)

◆◇◆滋賀県大津の代表的な祭り「大津祭」、大津町衆が支えた豪華で華麗な祭り

 金木犀の香りたつ頃、大津祭(滋賀県大津市の天孫神社の祭礼)の曳山のからくりの話を聞くと、秋が始まったなと感じる。今年は、宵宮が十月七日、本祭が十月八日だ。大津祭(旧四宮祭)は、祇園祭の山鉾巡行によく似た「曳山祭礼」が有名な祭りである。

 四百年近い歴史を持つ湖国三大祭りの一つで、東海道最大の宿場と港で栄えた旧大津の各町が、江戸初期から守ってきた天孫神社の伝統の祭礼だ。秋の湖国に、大津町衆の経済力と心意気を今に伝える秋の風物詩である。

 江戸時代初め(慶長年間・一五九六~一六一四年)に、鍛冶屋町の塩売治兵衛が狸の面を被って天孫神社(現在は大津市京町三丁目にあり、古くは「四宮神社」と呼ばれていた)で踊ったそうだ。神社の古木に住んでいた狸が死んでしまい、木を慰めるための踊りであったという。その踊りが好評で、毎年踊るようになったのが大津祭の起源とされている。

 その後、寛永十二年(一六三五年)からは屋台に地車をつけて曳山とし 子供達に引かせるようになり、寛永十五年(一六三八年)からは、祇園祭の曳山をまねて一回り小さい大きさの三輪の曳山を作り、やがてからくり人形が乗せられ、元禄・安永年間に現在の曳山が整えられた。

 町単位で十三基の曳山があり、当時の大津が東海道の宿場町として栄え、その大津の経済力をもとに町人文化が隆盛しました。大津祭は当時の町人の大きな財力を偲ばせる、豪華で華麗な祭りといえそうです。そうした祭りの面影を伝える、鍛冶屋町、丸屋町、湊町、猟師町、玉屋町などの町名が、地番整理などのため、公には消えてしまいました。大変に残念なことです。

 大津祭は様々な部分において祇園祭に酷似している。これはやはり、高山の高山祭などと同様、祇園祭の地方への伝播の影響と考えられる。祇園祭の曳山は四輪だが、大津祭は全ての曳山が三輪で作られている。町の大きさや、通りの広さなどの事情があるのだろうが、操作性をより高めた工夫は後世のものならばこそである。


スサノヲ(スサノオ)  

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