2014年05月28日

◆アマテラスの岩戸籠もり 第3回 語りかぐら in 京都・町家カフェ「月の花」



◆アマテラスの岩戸籠もり 第3回 語りかぐら in 京都・町家カフェ「月の花」
https://www.facebook.com/events/1423161034602137/

高天原でのスサノヲの乱暴な行為によってアマテラスは岩戸に身を隠してしまう。天地は闇に包まれ災いが発生する。困り果てた八百万の神々は解決策を相談する。

語りかぐら「なむぢ」のコンサートで、日本神話を読み解き、古代この国に仕組まれた大仕掛けの謎について解き明かしたいと思います。

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◇日時
2014年6月6日(金)19:00~21:00
終了後に同会場で懇親食事会をします。

◇場所
京の癒し町家カフェ「月の花」
〒600-8072 京都府京都市下京区
綾小路通堺町東入ル綾材木町206-1
075-201-1125
阪急電車「烏丸」駅徒歩3分、地下鉄「四条」駅徒歩5分

◇地図
http://goo.gl/maps/ItFmF

◇料金
¥2,500(1ドリンク付)

◇定員
10名

◇語りかぐら「なむぢ」<Facebook>
https://www.facebook.com/namudi8
◇語りかぐら 「なむぢ」<Jimdo>
http://namudi8.jimdo.com/
◇日本の神話~神々に出会う旅~
http://nihon-shinwa.jimdo.com/
◇日本神話で学ぶ「日本のこころ」
http://kokoro-nippon.jimdo.com/

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◆「2014年 語りかぐら・なむぢ」の年間スケジュール

1、日本神話への誘い~日本の神々に出会う~
イザナギとイザナミは先に出現した神々から「天の沼矛」を授かって国産みを始めた。次々と誕生した島々「大八島国」は現在の日本列島の原型となった。更に多くの神々を産んだが、最後に産んだ火の神でイザナミが火傷をし、黄泉の国へ下ることになる。

2、黄泉の国と三貴子誕生 
妻・イザナミを慕って黄泉の国へ入ったイザナギ。しかしそこで見たイザナミの姿は醜く穢れていた。慌てて逃げ出すイザナギにイザナミの追っ手が迫る。

3、アマテラスの岩戸籠もり 
2014年6月開催 場所:京都四条烏丸「町家カフェ・月の花」
高天原でのスサノヲの乱暴な行為によってアマテラスは岩戸に身を隠してしまう。天地は闇に包まれ災いが発生する。困り果てた八百万の神々は解決策を相談する。

4、スサノヲとヤマタノオロチ 
2014年8月開催 場所:京都四条烏丸「町家カフェ・月の花」
高天原を追放されたスサノヲは出雲の国へ降りる。そこで出会ったクシナダヒメを救うためにスサノヲはヤマタノオロチを退治する。

5、オオクニヌシと因幡の素兎 
2014年10月開催 場所:京都四条烏丸「町家カフェ・月の花」
日本の昔話としても知られる「因幡の素兎」だが、『古事記』ではオオクニヌシがなぜ国造りを行うことになったかを示す物語。

6、オオクニヌシの国造りと国譲り 
2014年12月開催 場所:京都四条烏丸「町家カフェ・月の花」
葦原中国(日本国)の基礎を作ったオオクニヌシに対して、高天原の神々は国譲りを要求。オオクニヌシは幽界の王となり退く。

◆来年2014年予定
 京都発! 出雲大社と伊勢神宮を巡る御蔭(神縁)コンサート「語りかぐら」
 2泊3日、出雲・伊勢・京都でコンサートを行います。

◆「なむぢ」
 日本各地の神話を「語り」と「音楽」で伝え、日本人としての素晴らしさを再確認することを目的に「なむぢが」デビューしました。
https://www.facebook.com/namudi8

◆即興演奏 日向真(ひなたしん)
 京都在住。風鈴演奏家。おとだま制作・奏者。
 いにしえから聖なる山と呼ばれる京都・東山の森に風鈴ハウス「風処(かぜどころ)」を構え、インスピレーションを受けて数多くの楽曲を発表。京都から日本の風鈴ミュージックを世界へ発信している。
 テレビや新聞などで全国的に知られる。
 健康雑誌「壮快」では魔法の音として過去13回紹介。
 日本各地の治療院で利用され支持をうけている。

◆神話の語り部・スサノヲこと山本 一男
 「日本」とは何か?「日本人」とは何か?が知りたくて、日本学、民俗学、宗教民族学などを中心に日本と日本人の原点と基層を調べて早20年が経つ。

 今を生きる多くの人たちの姿を見ると、日本の文化・歴史についてあまり関心が無いようで、多くを外からの情報に翻弄され刹那的に行動しているように見える。このような自らの拠り所を失い根無し草のよ うに漂うさまを見るにつけ、自らのアイデンティティをしっかりと見つめ直し、日本列島の自然と風土の中で作り出してきた日本独自な精神文化と日本人であることとを自覚すること が必要だと感じるようになった。

 また国際化が叫ばれて久しいですが、本当の意味で国際人になるためにも、自らことを自らの国のことをしっかり伝えることが出来て、はじめて国際人だと言えるのだと思う。

 特に日本の伝統・伝承・神話や地域に残る風習・祭り・行事などの背景(背後)のあるものは、豊かな森と水の日本列島という風土が醸し出した古代の人々の世界観(素朴な神々の世界観)の記憶だ。 実は今も地下水脈のようにつながり生き続けているのである。

 私たちは普段、こういう事(古代からの世界観)をまったく意識することなく生活している。しかし気付かなくとも、ほんとうは私たち日本人のものの見方や生き方を規定している「何か」があるのだ。

 こうした私たち日本人の意識の底に眠った記憶とは、太古の昔から今日に至るまで、連綿とつないできた貴重な精神の遺産であり、大自然に宿る日本人の 原風景でもある。

 実は私たち日本人とは、長い時間をかけてこのような古代から日本列島の自然(恵みと災害)とうまく折り合いをつけ、柔らかい関係を結び、共に生きることを選んだ民族が日本人なのだ。

 今一度、こうした日本人の知恵を魂を学んでみよう。

【参加者の感想】

◇なむじさんの神話の語り。次元を超えるかのような、世界観に引き込まれました。神話の流れを聞いて、色々と神様の繋がりに腑に落ちるところがあり、興味深く聞き入りました。素敵な時間をありがとうございます。

◇絶妙な「間」を持たせた山本さんの語りと、幻想的で魂に響く日向さんの音楽・・・そしてクライマックスは衝撃の出雲王朝の秘。むなぢワールドに吸い込まれた時間でした。なんだか村上春樹作品の空気と似たものを感じたのは私だけ?
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Posted by スサノヲ(スサノオ) at 08:12 Comments(0)

2011年12月30日

◆湖上の白髭神社の大鳥居に想いを馳せる

地図はこちら


◆湖上の白髭神社の大鳥居に想いを馳せる

 滋賀県高島市の白髭神社には何度も立ち寄ったことがある。

 琵琶湖西岸から急にそそり立つように比良の山並があり、僅かに国道が一本程度が通れるだけの狭い場所に白髭神社がある。

 湖中には朱塗りの大鳥居が建ち、夕日に照らされた白髭神社の大鳥居は神秘的でうっとりするものがある。

 この琵琶湖の湖西地域を通り白髭神社の大鳥居を見るたびに、古代日本海を渡り琵琶湖の辺に辿り着いた新羅系の渡来人たちの姿が目に映る。

 全国に散らばる白髭神社という神社名が、新羅系の渡来人の足跡、入植の跡を現在の私たちに語りかけてくれているようだ。


スサノヲ(スサノオ)

地域を幸せにするWebプロデューサー/神社魅力プロデューサー
http://www.ustream.tv/recorded/19336205




Posted by スサノヲ(スサノオ) at 17:11 Comments(0)近江の民俗学

2007年02月17日

◆田上山と秦氏の関わり 田上山のミステリー

◆田上山と秦氏の関わり 田上山のミステリー

なぜ田上山の木が藤原京や東大寺、平安京の造営にわざわざ使われたのかを考える前に、
唐突ではあるが、東北の「こけし」と近江の関係を考えてみよう!

ここには近江と秦氏の関係、秦氏と木材加工テクノクラート「木地師」の関係が見えてくる。

◆近江の秦氏と木地師

東北から北関東にかけて木工の「こけし」が民芸品として多く存在する。

特に福島県の会津地方は「こけし」で有名だ。今でも、福島県会津地方には「こけし職人」の方が多数存在する。

なぜ福島県には「こけし職人」や「こけし文化」が多いのであろうか?

歴史的に見ると、安土桃山時代の約400年前のことである。

約400年前、近江の武将・蒲生氏郷が会津に所領を得て、「木地師」と呼ばれる人々を近江から会津に連れて来たのである。

ここに東北の「こけし」と近江との関わりがある。

ではこの「木地師」とは何者か?

「木地師」は木を加工して、生活用品を作る人々である。轆轤(ロクロ)という回転する工具を使った木工品を作ることに長けていた。

「木地師」たちは、良質の木材を求め、全国を移動していたのである。

現在、「木地師」には、大きく二つの家があり、小椋家と大蔵家である(小椋家の「小椋」の地名のある所は秦氏が住んでいた場所が多い、たとえば小椋山とか小椋池など。また秦氏の支族にも大蔵氏がいる)。

実はこの木地師の里が、近江の東の山奥、現在の永源寺町にある蛭谷と君ヶ畑である。この辺一帯は、かつては小椋谷と呼ばれおり、小椋谷は六つ畑の一つであった。今でも、大君ヶ畑や榑ヶ畑などという地名が残り、木地師の村があったとされる場所である。

またこの近くには秦荘という地名や秦川山があり、この「畑」は「秦」を連想させる。

実はこの「木地師」の里の愛知川一帯の愛知郡は、日本でも有数の秦氏が住んでいた地域で有名であったのだ。

事実、ここには「愛知」を冠した朴智秦氏、依智秦氏が多数住んでいた。

臨済宗永源寺派総本山「永源寺」(聖徳太子の発願寺)や、琵琶湖の東に位置する湖東三山の 龍應山「西明寺」、松峰山「金剛輪寺」、釈迦山「百済寺」(聖徳太子にゆかりのある寺)の三山は紅葉の名所として知られるが、多くは渡来系寺である。

また秦川山の麓の「金剛輪寺」はもともと「松尾寺」といい、京都西にある秦氏の氏神である「松尾大社」と同じく秦氏が建立した寺である。

「木地師」の里である愛知川一帯の愛知郡は、秦氏が開拓し住み着いた土地であり、「木地師」は渡来人の秦氏であったのだ。

渡来人の秦氏は、当時の日本において最も優れた高度な技術を持つ技術集団(テクノクラート)であり、彼らの技術なくして当時の大規模な土木・建築は成し得なかったのである。

この秦氏が近江の湖東にいた事が、田上山の木材と藤原京・東大寺・平安京の造営と関係するのである。

次回、この秦氏と田上山の謎について、さらに迫ってみよう!




スサノヲ(スサノオ)


Posted by スサノヲ(スサノオ) at 15:24 Comments(1)近江の民俗学
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スサノヲ(スサノオ)
豊かな水をたたえる琵琶湖を持つ近江は、古くから多くの人や渡来人が行き来して住みついた、長い歴史と豊かな文化を作り出してきた場所です。 ただ、この近江(滋賀)に住んでいるのに、どれだけ近江について知っているでしょうか? 皆さんの地域をもっと理解するためにも、自分たちの地域の祭りや文化、歴史などについて語り、理解を深めましょう!


スサノヲ(スサノオ)
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